だから池月創刊号

鳥屋酒造と池月

能登のちっちゃな酒蔵

 清酒「池月」の醸造元鳥屋酒造は、創業大正8年(1919年)、七尾と羽咋を結ぶ”西従来””沿いに位置しています。かれこれ100年近くも、地元の皆様に愛されてきた酒蔵です。

「お客様からは、『池月って池の水面に月が浮かんでいるイメージで綺麗な名前ですね』と言われています。と言われるんですが、実は名馬の名前から来ているんです」と社長さん。

 昔、宇治川の先陣争いで活躍したと言われる名馬・池月は、能登島の牧山産であり、源頼朝公が愛でた馬だったそうです。酒蔵のますますの飛躍を期して、この名馬から名前を頂いて「池月」という銘柄になったのだそうです。

酒一筋60年

川合 喜好 氏  鳥屋酒造社長

「うちの酒は辛口なんですよ、でも、辛く感じない。これは、仕込水のせいですね。そうかといって淡麗かというと、そうでもない。これが、うち(池月)の特徴の一つかもしれません」鳥屋酒造の社長、川合喜好氏はこう言われます。

「池月」の仕込み水に使われる地下水は超軟水、基本に忠実な造りは、程よい旨味を乗せたお酒となります。「池月」が飲み飽きしないお酒だねと言われるのは、このような背景があるのです。

「今後も変わらず、池月の味を守り通していきたい」こうも仰る社長の言葉には、今まで「池月」を支えてくださってきた地元の愛飲家への感謝、また社長の望む日本酒の姿があります。じんわりと旨い、のどを通って美味しい、何より長く飲み続けられるお酒。そんな「池月」であってほしい。

 小さいながらも、恵まれた地の利を生かした「池月」は、応援くださる皆様にも恵まれて、これからも池月の味を、守り通していくことでしょう。


みなも誕生秘話

 今の「池月」は、故・西本久孝氏(おさけやさん西本)と、川合社長(鳥屋酒造)お出会いから生まれました。西本氏は蔵訪問の際に、タンクに眠っていた酒の酒質と、川合社長の実直な人柄に惚れこみました。同じように、西本氏の日本酒を愛する情熱と姿勢にほれ込んだ川合社長。意気投合した両氏の夢を乗せたタンク1本の酒に、「みなもにうかぶ月」と命名しました。

 これが、新生「池月」の始まりの酒となりました。そんな二人の後姿にあこがれた酒販店たちがいます。西本氏が夢見ていたであろう境地には、まだまだ遠く及びませんが。この仲間たちは、皆様と共に「池月」を応援していくことで、西本氏の夢を引き継ごうとしています。

 たかが1本の酒から始まった「池月」の物語ですが、皆様の有難い応援を受けながら、今後も大きな夢に向かって歩んでいます。

私と池月

石黒 格 氏              金沢市柿木畠「いたる本店」店主

 池月は このままがいい このままでいい 

ふとした時に呑む池月にこそ、池月らしさを感じます。呑んでほっとするお酒。料理と喧嘩しない純粋なお酒。こんな池月が、このまま続いてほしい。

 四月吉日、犀川河川敷にて、「いたる」主催のお花見が行われました。満開の桜の下、とても心地のいいお天気にも恵まれ老若男女、約200名の方が参加していました。

 そこで、いたるさんこと、石黒格さんに、池月を片手にお話を伺うことができました。数ある北陸の銘酒を知る、いたるさんは、池月をこのように感じているそうです。

 十年近く、池月純米酒を愛飲していただいているいたるさんが語るこの一言は、蔵元冥利に尽きる言葉であり、われわれ酒屋も、池月を皆様にご紹介できた喜びが湧き上がってきます。さりげない池月の良さを感じていただければ幸いです。

 今宵はあなたも「池月」で、ほっとぢたひと時を過ごしてみませんか。

日本酒豆知識①

 能登杜氏とは、能登半島の先端付近、珠洲市や内灘(現・能登町)を発祥地とし、日本の代表的な杜氏集団の一つです。

 技術集団としての発祥は江戸時代後期と伝えられ、能登衆と呼ばれ他地域とは異なる、独自の酒造技術を伝承していった、それは”能登流”と称され、味わいの濃い酒質を特徴とすると一般的に言われています。また、大吟醸酒造りの名酒を多く輩出し、「吟醸造りは能登が一番」と言われるようになった背景には、気候風土や食環境はもちろん、蔵元共々とのたゆまぬ努力がありました。

「能登はやさしや土までも」と言われるように、純粋で粘り強い能登の人情が酒にも表れているように思われます。現在(平成24年)、能登杜氏組合には74人の杜氏と230人の蔵人が在籍しています。(石川新着情報書府参照)。

 我ら「池月」の柳矢健清杜氏は、40年以上の酒造りと四半世紀の杜氏経験をもつ、能登でも屈指の匠です。機械を入れず昔ながらの環境の中、柳矢杜氏の手で造られる「池月」には、長年の経験に育まれた「心を癒す」温かさが感じられます。